[夢現に]

 ぼやーっとしている。


 道真さんがうちに泊まっていきまして、早朝寝過さぬようラノベを手にまーた徹夜としゃれこみましたが。


 SHINOです。新刊にやっと手をつけられました。上月雨音さんは、ある種の親近感を覚える作家さんで、それがなんだろう、なんて思いながら、あー、やっぱり面白さという快楽に流される。


 上月さんが書く女性――リアルさに裏付けされたものではなく、どちらかと言えばその作品世界が齎す幻想により浮かび上がる強度をもつ女性――は、いつも印象に強く残る。
 ムシウタも同じか。作品世界により、その作品内でキャラクターの強度が発生するパターン。ブラウン神父シリーズとか、ミステリーの先駆者たちも了承していた事柄なんだろうなぁ。荒唐無稽なトリックも、実現可能に思えてくる世界作り(世界観というだけでなく、言葉選び等にも左右される作品内世界の構築)と同じように、作品世界の内部でこそ、という自閉的な要素を前提としなければ、ライトノベルに触れられないようにも思えてくる。それは言い過ぎか。


 異能により人格を保障する術は失われて久しいか。
 ただ、『SHINO 空色の未来図』の詩葉という人格は、なんかいろいろと多重構造に支えられていそうではあったりして。
 

 そういえば、顔に対する刺激は、新しい視点を得るきっかけになる。朝起きて顔を洗う、という行為は、朝起きることにより新たな一日が始まるというよりも、冷たい水で顔面を濡らすことにより新たな一日を始めることが可能となるんじゃないかと。睡眠のみに日の境界を託した生活を送っていると、いつの間にか連続性を得てしまう実感があった。むしろ寝ずに三日四日起きていても、顔を洗うなり叩くなり、カラオケで大声を出すなりしたならば、連続性が途切れそうになるのを感じる。日の境は睡眠に拠らず、代表格は顔を洗う動作。


 別にSHINO考をしたいなどとは微塵も思っておらず、また例によって睡眠不足からくる徒然なアレ。


 日文の院に行くとしたら(例え、国語という科目を教えるためにその権威が必要なだけだとしても)、丁寧な論理が必要になるんだよな、と思うと、また、冷房をつけたくなった。