キツネツキ
・どうすれば楽に死ねるか考えられる程度の精神状態



たいして問題になってないじゃん。


[今日の思索]

 左手側でフレミングして、右手側でとんぼの目を回す。
 電車で、向かいの席に赤ちゃんがいたものだから、笑顔で相手をしていました。
 正直、こういうことをやっていると、保護者の方が嫌な顔をするときとかあるんだけど、赤ちゃんが、僕という「なんか知らない人間」に興味を示しているとき、笑顔で返して相手せねばならんだろう、と常々思っている。青臭く言うなら、子供が見る大人の顔は、ぜひとも笑顔であって欲しいと願っているから、なんだけれど。
 ともかくまぁ、赤ちゃんがいたら、目を丸くしてこちらを見ていたら、できたら笑わせてあげたいな、と思う。でも、なんで赤ちゃんだけなんだろうなぁ、と、今日思った。
 自己分析ってやつには、絶対死角がついてまわるわけで、多分、考えてもそうそうわからんことなんだろうけど、今日、やっぱり不思議だった。
 だって、僕はそのとき、「子供が見る大人の顔は〜」みたいな口上を頭に浮かべる前に、フレミングしてとんぼだった。口上が後付けであることは確認された。なんでフレミングでとんぼなのかもわからないままだ。
 なんか、刻まれてるな、と思った。論理じゃない……感覚? それ以前のもの? そういうの。
 もしかしたら、僕たちが一刻一刻と忘れていく記憶の欠片だったのかな、と、また青臭く考えた。過去、抱いていた想い、感覚、今はなくなって、忘れて、忘れさせられて、忘れたくて、記憶。
 それらって、なんかどっか、反射する脊椎と脳の間あたりに、溜まってるんじゃないの? なんて。
 答えない思索。でもなんか、今は、そしてこれからは、忘れた記憶の蓄積場所、ってことが、とても大切な物事になっていくんじゃないか。そんな予感だけは胸に残りつつ、今日はお休み。